神戸地方裁判所 平成10年(行ウ)20号 判決 2000年10月27日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第三 当裁判所の判断
一 事実経過
前記「争いのない事実」及び各項末尾掲記の証拠並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 原告は、平成五年四月一日、兵庫県職員として採用され、西宮保健所総務課に配属されて一般事務を分担することになった。
原告は、総務課での勤務に就いた当初から、上司や同僚がまともに指導してくれず、分からないことを聞いても冷たくあしらわれるように感じ、また、赴任直後から西宮保健所全体に対する電話の取次ぎを担当させられたことにも不満を持った。原告は、その後も、総務課の課員が原告に対して刺々しい態度をとると受け取っていた。
原告は、当初、総務課の中でもAとは昼休みに一緒に外へ昼食をとりに出たり、仕事後に一緒に買物に行ったりする親しい仲であった。しかし、平成六年四月ころから原告とAとの関係が悪化し、Aは、原告を避けたり、また、原告に対しきつい態度で接するようになった。さらに、原告は、総務課の他の職員もAに同調し、又は、Aの原告に対する態度について見て見ぬ振りをしていると考え、職場で孤立していると感じるようになった。
そのころから、原告は、不眠に悩まされるようになり、主治医に睡眠薬を処方してもらって服用するようになった。同年九月ころには、原告の体重は激減し、原告は、同年一〇月九日、失神発作に見舞われ、それ以降、病気を原因として西宮保健所を休職した。アクティ診療所の松岡謙二医師は、同年一一月一二日に原告を診察し、「平成六年一〇月九日失神発作あり。精査の結果、著変なし。しかし以来、精神不安、うつ状態持続のため安静加療をつづけ、症状の改善を認めるものの尚不安状態持続のため、更に一か月間の安静加療を必要と認める。」と診断した。
約半年の間休職した後、原告は、松岡医師の許しを得て、平成七年四月一日に西宮保健所に復職した。北岡所長は、復職後、原告の相談によく乗ったことから、原告は頻繁に所長室に行って北岡所長に話を聞いてもらうようになった。(〔証拠略〕)
2 前項のような状況下で、原告は、北岡所長や小林総務課長らに対し、西宮保健所から転勤したいとの希望を伝えていたが、平成七年四月の異動期にも平成八年四月の異動期にも転勤は実現しなかった。
Aは、平成八年四月に総務課から転勤したが、その後も原告は、職場で孤立しているという感じを持ち続けた。(〔証拠略〕)
3 原告は、平成八年六月二五日、北岡所長に対し、「この職場にもうこれ以上居たくない。同月末で退職したい。」と口頭で申し出た。これに対し、北岡所長は、突然の退職申出に驚き、「もう少しゆとりを持って決めた方がいいのではないか。」などと言って原告を慰留した。
原告は、翌二六日は出勤せずに電話で年休を取り、二七日は通常どおり出勤し、二八日は出勤したが一時間の時間休を取って早退した。二九日、三〇日は、休日であった。その間、原告は、北岡所長その他の上司に対し、退職について話をすることはなかった。(〔証拠略〕)
4 原告は、同年七月一日の朝、西宮保健所に電話をかけて小林総務課長に対し、昨日付けで退職すると所長に申し出ていたので出勤しない旨を伝えたが、小林総務課長からとにかく出て来なさいと言われて出勤した。
出勤した原告に三谷副所長が対応し、退職の理由を繰り返し尋ねたところ、原告は、「これ以上この職場に居たくない。西宮保健所での仕事は自分には合わない。自分は初対面の人と気軽に話ができるタイプではないので、できれば裏方のような仕事をさせてほしかった。」などと言った。さらに、三谷副所長が「家族は退職に賛成しているのか。」と質問したところ、原告は、家族には一切相談していなかったが、事後承諾を得るつもりで、「家族も同意している。」旨答えた。
原告は、その日は小林総務課長から「休暇届を出して休んだらどうか。」と言われ、同人に年休届を提出して帰った。(〔証拠略〕)
5 原告は、翌日の七月二日、出勤して所長室で北岡所長と面会した。北岡所長が退職の意思を確認したのに対し、原告は、「よく考えましたが、やはり退職したい。明日にでも辞めたい。」などと退職意思を固めたことを表明した。北岡所長が「お母さんに話しているのか。」と尋ねたところ、原告は、「母も了承している。」と言った。また、北岡所長は、原告に対し、しばらく休むのであれば、事務の引継ぎをしてほしいと求め、周りの職員の目に配慮して次の一番近い休日である同月六日の土曜日に事務の引継ぎを行うことになった。さらに、北岡所長は、原告に対し、今後出勤しないのであれば、年休がなくなっているので病気休暇扱いとするのがよいと話した。
そして、原告との話の後、三谷副所長にもその旨を伝えた。三谷副所長は、同日以後、原告に対して診断書を提出するように求めた。
原告は、北谷((ママ))所長との話の後も午後から半日の「職務に専念する義務の免除」を申請して帰った。
三谷副所長は、同日、兵庫県庁に原告の退職申出があったことを報告し、その際、兵庫県庁への転入候補として原告を面接する予定があったことを聞いたが、これを原告に伝えることは特にしなかった。兵庫県庁からは、同月八日、退職はやむを得ない、退職の日付については引き続き検討中であるという連絡があった。(〔証拠略〕)
6 原告は、七月三日から五日まで西宮保健所に出勤せず、同月六日に出勤し、西宮保健所において小林総務課長に対して事務引継ぎを行い、私物をすべて片付けて持ち帰った。
小林総務課長は、同月八日、課内会議を開いて、総務課課員に原告の担当事務を割り振った。(〔証拠略〕)
7 原告は、七月一六日、アクティ診療所で診察を受け、同日付けの診断書(〔証拠略〕)を取得した。右診断書には、「習慣性嘔吐、並びに胃潰瘍、肝障害の疑。上記疾病により、平成八年七月四日より、向後一か月間の休業加療が必要と認める。」と記載されていた。
原告は、同日、アクティ診療所前で待ち合わせていた三谷副所長と会った。
また、原告は、三谷副所長に呼ばれて同月一八日に西宮保健所に出勤した。
右両日において、原告は、三谷副所長から退職願の書式を受領し、同人に対して診断書を渡した。
その後、三谷副所長は、右診断書を麻埜課長補佐に渡し、麻埜課長補佐が原告に代わって、同月三日の欠勤につき夏期休暇、同月四日以降の欠勤につき病気休暇として処理した。また、その後、三谷所長は、原告に対し、退職届の日付を同月三一日にして送ってほしい旨伝えた。(〔証拠略〕)
8 原告は、七月二一日、西宮保健所に届け出ることなくオランダへ海外旅行に行ったが、それに先立って、春子に対し、内容を秘して退職願(〔証拠略〕)が入った封筒を渡し、翌日西宮保健所に郵送するよう依頼した。右退職願は、兵庫県知事宛、同月二二日付で、「私は、一身上の都合により、平成八年七月三一日付けで、本県を退職したいのでご承認願います。」と記載され、末尾に原告の署名押印がされていた。
原告の母春子は、翌二二日、右封筒を西宮保健所に簡易書留で郵送した。
原告は、同日、オランダに到着後、春子が右封筒を投函した後である時間を見計らい、春子に国際電話をかけ、右封筒の中身が退職願であったことを打ち明けた。春子は、激怒し、「いじめが原因で退職するなどということは絶対に納得できない。そんなことは認められない。」などと言ったが、原告は、この時点では春子に対し、退職願を撤回するとの意思を示さず、西宮保健所に退職願の撤回を伝えるように依頼することもしなかった。
しかし、春子は、自らの判断で、翌二三日の午前中、退職願が到達するより前に三谷副所長に電話をかけ、「娘が退職願のようなものを送っていたようだが、是非取り下げてほしい。」旨告げたが、三谷副所長は、「非常に難しい。一旦意思を表明したから無理だ。」旨答えた。
同日、西宮保健所に右退職願が郵送されたので、三谷副所長は、北岡所長の決裁を受けた後、これを兵庫県庁の保健部総務課へ持参して進達した。そして、同日、原告の退職願は、保健部総務課から総務部人事課へ内申された。(〔証拠略〕)(もっとも、原告は、春子が原告の依頼を受けて三谷副所長に対して退職願の撤回を申し入れたと主張し、これに沿う原告本人の供述並びに兵庫県人事委員会における原告の本人尋問調書(〔証拠略〕)及び春子の証人尋問調書(〔証拠略〕)の記述があるが、兵庫県人事委員会における原告本人尋問調書(〔証拠略〕)の「母親は母親なりに何か行動をとったようです。」との記述や、原告作成の陳述書(〔証拠略〕)の「春子は、三谷副所長に自分が責任を持って娘を説得するので、職場に戻れるよう退職願を取り下げてほしいと懇願した。」旨の記述のように、原告自身、原告が春子に退職願の撤回の申入れを依頼したことを否定するかの如き記述をしていることなどに照らし、原告本人の右供述並びに原告本人及び春子の調書の記述は、たやすく採用することができず、他に原告の前記主張を認めるに足りる証拠はない。)
9 原告は、オランダから帰国した後の七月二七日夜、北岡所長の自宅に電話をかけた。原告は、泣き声で「母親にひどくしかられたんです。どうにかならないでしょうか。相談に乗っていただきたいのですが。」などと言った。北岡所長は、「母親にしかられたぐらいでどうしたんだ。自分で決めたことだろう。」などと言い、電話は五分程度で終わった。(〔証拠略〕)(なお、原告は、この電話の際に北岡所長に対して退職願の撤回を申し入れたと主張し、これに沿う原告本人の供述並びに兵庫県人事委員会における原告の本人尋問調書(〔証拠略〕)及び原告作成の陳述書(〔証拠略〕)の記述があるが、右供述並びに調書及び陳述書の記載は、これに反する兵庫県人事委員会における北岡所長の証人尋問調書(〔証拠略〕)及び北岡所長の陳述書(〔証拠略〕)の記述に照らし、直ちに採用することができず、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。)
10 原告は、七月二九日、兵庫県庁に赴いて、面識はないが大学時代の先輩である兵庫県職員に面会し、退職願を提出してしまったが、これを撤回する方法はないかなどと相談した。同人は、原告を保健部総務課に連れていったが、原告は、同課でもう一度西宮保健所の方で話をするようにと言われた。
そこで、原告は、同日夕方、西宮保健所に赴き、所長室で北岡所長及び三谷副所長と面談した。
原告は、数回にわたって北岡所長及び三谷副所長に対し、「退職願の提出について母親にしかられた。退職願の取消しというのはできないのでしょうか。」などと言った。北岡所長は、「元に戻ったとしても、難しいと思うが。よく考えたらどうか。」などと言ったが、これに対して原告は沈黙していた。
三〇分ほど経過した後、北岡所長が席を外し、その後も、三谷副所長は、原告と二人で三〇分くらい話を続けた。三谷副所長は、北岡所長の退席後も、「総務課員には甲野さんの退職について説明し、皆で事務をやってもらっている。元に戻ったとしても難しくなってやりにくいんじゃないの。」などと引き続き退職願の撤回を思いとどまるように説得した後、退職手当に関する申告書の提出など、今後の退職に伴う手続について大まかに説明し、詳細については、麻埜課長補佐から説明するが、それは後日にしようと言ったため、原告は帰った。(〔証拠略〕)
11 三谷副所長は、七月三〇日、原告宅に電話し、原告に対して翌三一日に西宮保健所所長室で免職辞令を交付をしたいので来てほしい旨話したところ、原告は、「辞めると決めた保健所には行きたくありません。」などと言い、免職辞令を郵送するように求めた。
しかし、三谷副所長は、翌三一日、兵庫県庁総務課から免職辞令は手渡しで交付するのが原則であるとの指導を受け、再度原告宅に電話して、原告と相談した結果、同日夕方にアクティ診療所前で待ち合わせて免職辞令の交付を行うことになった。
被告は、同月三一日付けで原告に対して辞職承認処分を行った。
原告は、同日、アクティ診療所前で三谷副所長及び麻埜課長補佐と会い、同所で三谷副所長から免職辞令を受領し、麻埜課長補佐に対して職員証及び共済組合員証を返納した。
同年八月一二日、原告から西宮保健所に対し、退職手当に関する申告書(〔証拠略〕)、地方職員共済組合兵庫県支部への退職届書(乙七)及び組合員資格喪失届書(〔証拠略〕)、兵庫県職員互助会への退会餞別金給付請求書(〔証拠略〕)が郵送された。原告は、同月三〇日に退職手当を受領し、同年九月一〇日に兵庫県職員互助会の退会餞別金を受領した。
西宮保健所は、同年八月二六日、原告に対し、西宮保健所親睦会の餞別金及び総務課親睦会の餞別金を郵送し、原告はこれを受領した。
原告は、同年九月下旬ころ、職員き章の紛失届(〔証拠略〕)を西宮保健所に送付した。(〔証拠略〕)
12 原告は、同年九月二七日、兵庫県人事委員会に対し、本件処分前に退職願を撤回していたとして本件処分の取消しを求めた。これに対し、兵庫県人事委員会は、平成一〇年五月二七日、本件処分を承認する旨の裁決をした。(〔証拠略〕)
二 争点1(原告による退職願の撤回の有無)について
1 原告は、平成八年七月二三日、春子が原告の意を受けて三谷副所長に対して退職願の撤回を申し入れたと主張するが、右主張を採用することができないことは、前記認定説示のとおり(第三の一8)であり、春子が原告の衣頼なくして自らの判断で退職願の撤回を申し入れたものと認められるから、右撤回の意思表示は効力を有しないというべきである。
2 また、原告は、同月二七日、原告が北岡所長の自宅に電話をかけ、同人に対して退職願の撤回を申し入れたと主張するが、右主張を採用することができないことは、前記認定説示のとおり(第三の一9)である。
3 前記認定説示のとおり(第三の一10)、原告は、平成八年七月二九日、西宮保健所の所長室において、北岡所長及び三谷副所長と面談し、両名に対し、数回にわたり、退職願の取消しができないのかという内容の発言をし、両名の説得後も特に翻意した旨表明はしていないことが認められる。
被告は、原告の右発言について、原告が両名に対し、退職願の撤回の可能性について相談したにとどまるものであると主張する。
しかしながら、前記認定説示のとおり(第三の一10)、原告は、同日、退職願の撤回について相談するために兵庫県庁を訪れて大学時代の先輩ではあるが面識のない職員に面会した後、保健部総務課を訪れ、そこでもう一度西宮保健所で話をするようにと言われて西宮保健所に赴き、北岡所長及び三谷副所長に対して数回にわたり退職願の取消しができないのかという内容の前記発言をしたという経緯が認められることや、両名が原告の説得に努めていること、それにもかかわらず原告が翻意した旨表明していないことなどに照らして考えると、原告の前記発言は、両名に対して単に退職願の撤回の可能性につき相談したという程度にとどまるものではなく、退職願の撤回を表明したものと推認するのが相当である。
三 争点2(退職願の撤回があったとして、その撤回が信義に反すると認められるような特段の事情の有無)について
1 前示のとおり、原告は、本件処分及び免職辞令の交付がなされた平成八年七月三一日よりも前である同月二九日に退職願を撤回したものと認められる。
しかしながら、免職辞令の交付前においても、退職願を撤回することが信義に反すると認められるような特段の事情がある場合には、その撤回は許されないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和三四年六月二六日第二小法廷判決、民集一三巻六号八四六頁、最高裁判所昭和三七年七月一三日判決、民集一六巻八号一五二三頁参照)。
2 そこで、これを本件について検討するに、前記認定事実によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告が退職願を提出した動機は、原告が平成五年四月当初から、西宮保健所の職員全体が原告に対して刺々しい態度をとると感じ、特に平成六年四月ころから原告とAとの関係が悪化したことをきっかけとして、西宮保健所の職員に対する不信感を強め、これ以上西宮保健所に居たくないと考えるに至ったことによるものであった(第三の一1)。
(二) 原告は、平成八年六月二五日に突然北岡所長に退職申出をした後、同年七月一日、二日の三谷副所長からの退職意思の確認に対してすぐにでも退職したい旨述べ、同月六日には職場の私物をすべて片付けるなど、固い退職意思を有することを示していた(第三の一3、4)。
(三) 原告は、平成八年六月二五日という年度途中に突然退職申出をしたのであるが、それ以降、自己の担当義務の引継ぎなど、退職に向けての手続をなんら積極的に行おうとせず、欠勤しがちになり、特に同年七月三日以降は、休暇取得の手続をすることなく欠勤を続け、同月二一日からは西宮保健所に無届で海外旅行に行くなどした。
これに対し、北岡所長、三谷副所長及び小林総務課長らは、休日である同月六日に原告の担当事務の引継ぎを行う時間を設けたり、原告の欠勤状態を病気休暇で処理すべく原告に診断書を取得するよう助言したり、退職願の書式を渡して提出するように助言するなど、退職する原告のために便宜を図り、その立場が悪くならないように種々配慮した。(第三の一3~8)
(四) 原告が退職願を撤回したのは、退職願を提出したことについて、平成八年七月二二日、春子が激怒したことをきっかけとして、自らも退職申出が軽率であったと後悔したというものであるのに、原告は、同月一日及び翌二日、三谷副所長及び北岡所長に対し、家族も退職について了承している旨虚偽の事実を述べていた(第三の一4、5、10)。
(五) 前示のとおり、原告が退職願の撤回をしたと認められる平成八年七月二九日は、原告が同年六月二五日に北岡所長に対して退職申出をしてから一か月余りも経過した後であり、免職辞令が交付された同年七月三一日の二日前であった(第三の一3、10、11)(なお、退職願は同年七月二三日に西宮保健所に提出されたが、これは三谷副所長らの助言により手続上の必要性から提出されたものであり、実質的には、原告は前記のとおり平成八年六月二五日の時点で北岡所長に対して確定的に退職の申出をしていたものと認められる。)。
(六) (二)項に記載のとおり、原告が固い退職意思を有していることを示したことを受けて、西宮保健所及び兵庫県庁では、原告の退職に向けての手続が進められていた。
すなわち、兵庫県庁との関係では、三谷副所長により平成八年七月二日に原告の退職申出が報告され、同月八日に兵庫県庁から原告の退職はやむを得ないとの回答があり、同月二三日、三谷副所長が兵庫県庁保健部総務課へ原告の退職願を進達し、同日、右退職願が保健部総務課から総務部人事課へ内申されていた。
また、西宮保健所総務課との関係では、平成八年七月八日、課内会議において原告から担当事務の引継ぎを受けた小林総務課長により、総務課課員に原告の担当事務が割り振られていた。
退職申出から退職願の撤回まで一か月余りが経過していたことからすると、原告としても、その間に西宮保健所及び兵庫県庁において、原告の退職に向けての以上のような手続が進行することを予測することは十分可能であった。(第三の一5、6、8)
(七) 平成八年七月二九日の面談における原告による退職願の撤回は、口頭によるものであった上、その後も、原告は、改めて書面によるなど明確な撤回の意思表示などはしなかった。
原告による退職願の撤回の意思表示が右のように曖昧であったことから、西宮保健所においては、その後も免職辞令の交付、退職手当の支給をはじめとする原告の退職に向けての手続が進められ、これに対して原告も異議を述べるようなことはなかった。(第三の一10、11)
3 右認定の事実によれば、(1) 原告の退職の動機はともかく、退職願撤回の動機は恣意的であって、これを合理的に理解し難いこと、(2) 退職申出から一か月も経過後の撤回であり、その間、退職願の提出を前提として進められてきた手続がすべて徒労に帰し、原告の恣意により行政秩序が混乱する事態が生じる結果となることが客観的に明らかであること、(3) 原告の右撤回の意思表示は口頭によるもので、しかも、明確性を欠いた曖昧なものであったことから、任命権者において、原告の退職に向けての手続を進めたことにつき無理からぬ事情があったということができる。
そうすると、本件において、原告は、免職辞令の交付前であっても、退職願を撤回することが信義に反すると認められる特段の事情がある場合に該当するものとして、右撤回は許されないものというべきである。
四 まとめ
以上の次第で、その余の点(争点3―退職願の撤回があったとして、その再撤回の有無)について判断するまでもなく、本件処分になんら違法はない。
第四 結語
よって、原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法六一条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松村雅司 裁判官 水野有子 宮﨑朋紀)